工藤 陽子さん
青森県五所川原市出身
高山稲荷神社(つがる市牛潟町) 参籠所(さんろうじょ)主任
うたごえタミー 団員
(2023年3月現在)
工藤陽子さんインタビュー後編!
前編はこちらから
東京の刺激 ご主人との出会い
Q.陽子さんは県外に行っていた時期があったんですか?
そうですね、5年ほど東京の大塚にいました。
(筆者)「そこに行ったとき、戻ってきたとき、感じたことはありますか?」
東京に5年いて、そこから真っすぐこの高山稲荷神社に来たんですけれども、感じたこと…そうですね、東京は東京で、私はやっぱりあの期間っていうのは刺激になったし、色んな興味あることを見られました。絵を見たければ立派な美術館に行ったり、音楽を聞きたければ聞ける。色んなものがこう…すぐ隣にいて、見たければ見られる、聞きたければ聞ける。人も色んな人が住んでて、刺激を受けるにはすごいところだなと思いました。
でも私はやっぱり性格的に、都会に住める人ではないんだなっていうか、「帰りたい」というのがあった。
その時に私と旦那が知り合ったんです。恋愛したんではなくって、御姑さんが私の実家のお店によくいらしてて、その送迎に来ていた旦那と自然に話が弾んだというところから。それから「今度神社に来ませんか」と誘われて行ったら、「こんなところあるんだ」と。でも、なんか初めて来た感じがしなくって、懐かしさがあったりとか、「は~!」っていう感じで。
そこからあれよあれよという感じで。でも人の縁ってそうなのかなと思った。長くお知り合いでいても、知り尽くして結婚してもすぐ別れちゃう人もいるし。私の場合は3月ごろ知り合って5月くらいに結婚して。3回か4回しか会ってないの。
(筆者)「それは東京から帰ってきた後…?」
帰ってきたとき…だったべがの(だったかしら)。とにかく、3月にそういうことがあって、5月に結婚して、だから、23(歳)がなんかで結婚してるはんで。帰ってきてすぐだがも(すぐかも)しれないね。
(筆者)「そんな出会いがあったんですね…良い出会いだ。」
良いんだかどんだんだか(いいのかどうなのか)わかんない(笑)まあ良いんでしょう(笑)
旦那さんもそうだけど、周りの人が良い環境のところがいいですよね。私はすごいそれが恵まれてました。周りの人もとっても良い人ばかりなので。気持ちよく今までいられたなぁと思ってるね。
音楽が趣味で好きでっていうのは理解してくれているので、そういうことに理解があるのはいいなあと思いますよね。そういう風になっていくためには、自分もそればかりに向かってるんでなくて、趣味は趣味として、そしてやっぱりお仕事をきちっとやらなければならない。
(筆者)「信頼関係みたいな感じですね。」
そこなんですよ。自分だけでなくて、相手のことも考えてあげないとダメなんじゃないかなと思うけど。でもやっぱり、ベタベタだとダメですよ。自分の世界をしっかりもってないと。
相手にばかり求めてもダメだし、押し付けてもダメ。夫婦なんだけど一人の人格として接する。慣れあわないことですよ。「それあたりめぇだべやるの」みたいな、そうなっちゃダメ。やってもらったら「ありがとう」の気持ち。感謝したり感謝されたり。感謝の気持ちでいないと。
もっと向こうへと
Q.今までつらかったこと、苦労したこと、逆に嬉しかったことはありますか?
環境がまったく違ったところに来たなということ。私は五所川原の駅前の商家で生まれた人なので、こういうところに来て、慣れるまではちょっと大変でしたね。
昔は宿坊のほうももっとお客さんが多くって、朝早くから夜遅くまで、宿坊のほうのお手伝いっていうのは大変でした。従業員の方々も多かったし、主人といる時間よりも宿坊のほうの仕事が多くて。最初、旅館やってるというのを、まあ若かったからさ、わがらなかったわけではないんだけども、なんがしら私は若さで飛び込んでしまったみたいな感じ。「なんがでぎるんでないか(なんとなく、できてしまうんではないか)」と。
だけど現状として、自分が思っていたよりも大変だっていうのはありましたね。弱くなった時もあったし、現状から逃げ出したい気持ちになったこともなきにしもあらずです。本当にうちに帰りたいなと思った時もあったし。
だけども、そういったことをめそめそ言ってられないほど現実と向き合って、一日一日自分のやらなければならない目の前のことに綽綽と向かって「逃げ出しちゃいけない」と、弱い自分がどこかにありながらも、奮い立たせて、今自分はここから逃げ出さずに、目の前のことに向かって歩んでいかなきゃいけないんだって。それは自分が選んでここに来るって決めたんだから、逃れちゃいけないっていう、自分との心の葛藤っていうか。後戻りはできない、あとは自分で自分の背中を押したり、そんな感じの日々でした。
ただ、自分がやってきたことが何もできないっていうか、自分は音楽好きだったので、そういったものが何にもできないっていうのが辛かったですよね。でも、いつかはできるんでないかっていう一握りの希望を持ちながらいました。
両親には心配かけさせたくないので、近くにいるけどすべては話さず、でも顔見れば「や、元気にしてる」「うん、なんとか」って感じの、それでいいんだなっていうか。親の顔を見て、私にはこうして帰れる場所っていうか、この弱い私を、私の気持ちを抱きしめてくれる両親がいるっていう、拠り所があるっていうのは強いっていうか、そんな感じでした。
私は結婚してから13年目で子どもを授かって、命を授かるにしても、私の場合は何をするにしても本当に大変な思いをして、スムーズにいかなかったことが、「なんで自分が」っていうのがすごくありました。
だけど今考えてみると、一つ一つ神様に与えられた私への試練なんだなって思って。それを乗り越えていきなさいっていうか。変な風に聞こえるかもしれないけど、これは私に挑戦状でもないけども、「乗り越えてきなさいね」っていう試練を与えてくださったんだなって今考えれば思っています。そしてそれを一つ一つ乗り越えることによって、「自分で自分の幸せをつかみ取ってきなさい」っていう。
今ようやく色んなものに喜びとか幸せとかを感じている。コーラスもそうだけれども。何でも自分でできるような時間とか、そういう、この間のコンサートもそうだけど、一つ一つが自分の喜びとして身近になってきたみたい。
ああ、やっぱし人っていうのは、その人その人に与えられた難関っていうか、困難っていうか、思うようにならないことっていうのは、全部神様が私たちに与えてくれてるんだなっていうか。神社にいるからかさ、そういう風に感じるよね。
人は人といる限り、人の世界にいる限り、問題がいっぱい発生していく。不幸せでもあるんだけれど、何かしらの考えていかなければならないことがいっぱい出てくるんですよね。幸せっていうのはそこらへんに落ちているものでなくて、すべて自分が戦って得ていくものでないかなと思いますね。
喜びと幸せ
私の喜び、幸せっていうのは、大好きな音楽であったり歌だったりそういったもの。楽譜を握りしめるだけでも、これは嬉しい瞬間。楽譜と一緒に、こう、ね、かばんに楽譜入れて出かけるっていうのが、それだけで、「私はこの楽譜入れて、出掛けて、仲間と歌う」っていうこの場所があるから、私はこれが幸せだなと思いますね。
Q.最後に、つがる市のアピールポイントはありますか?
つがる市は自然に囲まれて、メロン、スイカ、かぼちゃ、ナガイモ、ゴボウなどの農産物も豊富ですし、なんといってもこの広々とした空気があって、五所川原とか、青森、弘前にはない自然が豊かですね。これから若い人が、若い力で何かしらアピールしていける場所であればと。
高山稲荷神社でもアーティストとか文化とか、そういうものに力を入れながら、皆さんが音楽を楽しめる場所であればいいなと思ってます。
関連リンク
工藤陽子さんインタビュー