プロフィール
新田の歴史が彩る日本のふるさと つがる市
つがる市は旧木造町、旧森田村、旧柏村、旧稲垣村、旧車力村が平成17年2月11日に合併して誕生しました。青森県9番目の市です。
ここつがる市はその昔、一面不毛の湿地帯だったこの地を新田開拓のためにと先人たちが悪条件やさまざまな障害に立ち向かい、たゆまぬ努力を注いで開拓した地です。
位置・地勢
つがる市は青森県の西北部、津軽平野の中央部から西に位置しています。東は岩木川を境に北津軽郡中泊町、五所川原市に接し、西は日本海に面し、その海岸線は「七里長浜」と呼ばれ、北は中泊町小泊・五所川原市市浦、南は西津軽郡鰺ヶ沢町まで続き、海岸沿いは「屏風山」と呼ばれる丘陵地帯が続いています。
市章
「つがる市」の頭文字の「つ」を図案化し、たわわに実った稲穂、日本海の美しい波を表現しています。稲と波しぶきを表している楕円の数は、旧5町村を指しています。自然と調和しながら、市の円満な発展を意味します。
マスコットキャラクター
つがーるちゃんは、平成18年に全国各地からの公募により誕生した、つがる市のPRキャラクターです。つがるブランド農産物8品目が組み合わされた、女性や小さな子供に親しまれるかわいらしいキャラクターです。
沿革
明治11年 | 郡区町村編成法の施行により西津軽郡となる。 |
明治22年 | 町村制施行。木造村、館岡村、出精村、越水村、柴田村、川除村、 森田村、柏村、稲垣村、車力村ができる。 |
明治34年 | 木造村が木造町となる。 |
昭和30年 | 木造町、柴田村、川除村、出精村、館岡村、 越水村、鳴沢村出来島が合併して新木造町ができる。 |
平成元年 | 森田村、柏村、稲垣村、車力村が100周年をむかえる。 |
平成13年 | 木造町が100周年をむかえる。 |
平成17年 | 木造町、森田村、柏村、稲垣村、車力村が合併してつがる市ができる。 |
姉妹都市
千葉県柏市 | 平成17(2005)年 | ふるさと交流都市提携 人的・物産関係の交流 |
北海道白老町 | 平成17(2005)年 | 姉妹都市提携 教育・文化・産業・経済等の交流 |
米国メーン州バス市 | 平成18(2006)年 | 姉妹都市連携 産業・文化・教育の交流 |
まつり・イベント
馬市まつり
明治36年より木造地区で始まった馬のせり市は大変にぎわっており、農耕馬の市として東北三大馬市に数えられるほど有名でした。
しかし、近代化により農業が機械化すると農耕馬が減少し、馬市は次第に衰退していきました。そこで昭和50年から、新田開発に尽くし亡くなった馬の霊を慰めるとともに、地域活性化を図るために巨大な馬ねぶたを曳いて町内を練り歩く「馬市まつり」を開催するようになりました。
馬市まつりは、8月下旬に3日間開催され、「上原げんと杯争奪のど自慢大会」をはじめ「よさこい」等、市民自ら作り出すさまざまな催しでにぎわいます。
まつり最終日の昼には、市民が制作した趣向を凝らした「馬ねぶた」の運行と仮装や流し踊り等の団体が練り歩くパレードが行われ、観衆を楽しませます。夜には太鼓とたいまつを使った幻想的な儀式の後、馬ねぶたに火が放たれ新田開発に尽くした亡馬の霊を昇天させる「新田火まつり」が行われ、まつりは最高潮を迎えます。
つがる市ネブタまつり
つがる市ネブタまつりは県内のネブタ祭りの先陣を切って開催されます。各団体が勇壮なネブタとともに太鼓や笛、鉦など威勢のいい囃子と躍動感あふれる踊りを披露し、夏の夜をにぎやかに彩ります。
チェスボローカップ水泳駅伝
明治22年(1889)年10月30日の早朝、つがる市車力沖合300m付近で折からの暴風によって座礁した一隻の巨船が牛潟の漁民によって発見され、風速63mの嵐の中、決死の救助活動で乗組員23人中4名の船員を奇跡的に救助。助けた当時の村人の心にも、助けられた乗組員たちの心にも大きな感動が生まれました。
その船名はチェスボロー号、米国メーン州バス市船籍。電話も自転車もなかった時代、旧車力村から青森県庁までの約64kmを村一番の健脚といわれた若者2人が自ら足で走り抜け、3日後、奇跡的に助かった4人は無事米国に帰国しました。
国境を越えた勇気と愛の人間ドラマは感動とともに語り継がれ、旧車力村と米国メーン州バス市は、積極的に交流が行われるようになりました。チェスボロー号遭難救助100周年をきっかけとして、平成2年(1990年)から始まったチェスボローカップ水泳駅伝は、旧車力村とバス市の直線距離にあたる10,200kmを、1チーム5人、全参加者の合計距離を毎年累計して泳ぎ切ろうという大会です。
参加者全員で目指す壮大な夢へのチャレンジは「勇気と愛は海を越える」のキャッチフレーズ通り、毎年、全国から多くの参加者が集まるイベントとなっています。
遺跡・文化財
亀ヶ岡石器時代遺跡(国指定史跡)
縄文時代晩期(2,400~3,000年前)の遺跡で、屏風山の丘陸上に立地します。台地周囲の低湿地には祭祀場としての捨て場が形成され、国指定重要文化財の遮光器土偶に代表される土偶・土器・漆器などの出土品は精巧で完成度が高く、卓越した芸術性をうかがえます。
江戸時代より珍しい土器が出土することで知られており、かつては「亀ヶ岡もの」と珍重した好事家の手によって、江戸や長崎、遠くはオランダ辺りまで輸出されました。台地上では土坑墓が多数発見されており、縄文時代晩期の大規模な共同墓地であったと考えられています。発掘調査の結果、土坑墓からは土器や土偶のほか、新潟県から遠くもたらされたヒスイ製の玉も出土しています。
昭和19年、遺跡の中心部が「亀ヶ岡石器時代遺跡」として北側に隣接する「田小屋野貝塚」とともに、国の史跡に指定されました。
つがる市縄文ポータルサイトもご参考ください。
関連施設:しゃこちゃん広場
亀ヶ岡遺跡の道路跡地を利用して「やすらぎの駐車帯」として整備したものです。トイレ、遺跡の説明板、湿原植物等を配しドライバーの憩いの場としてだけでなく、観光客の皆様にもご利用いただけます。
田小屋野貝塚(国指定史跡)
縄文時代前期中ごろ~中期中ごろ、約5,000~6,000年前の円筒土器文化を中心とする遺跡です。日本海側に少ない、しかも内陸部にある縄文時代前期の貝塚を伴う集落として著名で、明治時代より中央の学会に注目され、昭和19年に南側に隣接する亀ヶ岡石器時代遺跡とともに国の史跡に指定されました。
田小屋野貝塚に貝塚が形成された縄文時代前期は気候が現在よりも温暖で、貝塚の載る台地の東に広がる津軽平野が、広大な内海「古十三湖」の水域となっていました。そのため、内陸部に貝塚が形成されたのです。貝塚から出土したヤマトシジミの貝殻は、古十三湖の水域から得られたものです。また、田小屋野貝塚の集落では日本海沿岸で採れるベンケイガイの貝殻を用いた貝輪(ブレスレット)を製作し、内陸や津軽海峡を越えた北海道のムラに運んでいたと推測され、一方で北海道産の黒曜石が出土することからも、縄文時代前期~中期の海峡を越えた交易を証明する遺跡と位置付けられています。近年の調査では普通の集落遺跡ではめったに見られない縄文時代の人骨(縄文前期)が発見されるなど貝塚ならではの発見もあり、温暖な環境下で暮らした縄文時代の人々や集落の姿がさらに明らかになりつつあります。
世界文化遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」
令和3年7月、「亀ヶ岡石器時代遺跡」と「田小屋野貝塚」を構成資産に含む「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録されました。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、青森県・北海道・岩手県・秋田県の17の縄文遺跡から構成されています。縄文時代の人びとは豊かな自然環境のもと、狩猟・漁労・採集を行いながら1万年以上にわたる定住生活を継続しました。縄文人たちが残した集落、墓地、環状列石、そこから発掘された土器や土偶からは、当時の生活と文化だけでなく、祈りのこころや複雑な精神性も知ることができます。
※北海道・北東北の縄文遺跡群ポータルサイトはこちらから
石神遺跡
石神遺跡の最も注目すべき点は、縄文前期から中期までの土器が時代順に連続して出土したことです。平成2年、219点もの土器を中心とする遺物が国の重要文化財に指定されました。
石神遺跡は狄ヶ館溜池に半島状に突き出した舌状台地の上に位置し、地形的には岩木山麓に広がる台地の北側にあたり、遺跡の西側には長前川、東側には沢が流れています。出土した円筒土器の中には”人面土器”と呼ばれるものもあり、土器の口の部分の装飾が人の歓喜の表情を表現しているともいわれています。
平成9年からの調査では、縄文前期~中期の遺構・遺物が良好な保存状態で発見されました。
発見された貝塚からはヤマトシジミが出土し、この貝は汽水域に生息することから、縄文時代前期から中期の「縄文海進」の頃には、現在の津軽平野一帯に広がる古十三湖が、石神遺跡の目前にまでせまっていたことがわかっています。
同エリアの森田歴史民俗資料館では、遺跡から発掘された土器を、実際に手の届く場所で見て触れることができます。縄文時代の土の感触は、どこか優しくあたたかく、指先から熱い想いが込み上げてきます。あなたも縄文時代にそっと触れてみませんか。
JR五能線木造駅舎(つがる市木造ふれ愛センター)
亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶こと「しゃこちゃん」の形をした迫力ある駅舎です。しゃこちゃんの目が七色に光り電車の到着を教えてくれます。
懸河・松枝・久米川遺跡
津軽平野北部に位置するつがる市稲垣地区の平野部は、縄文時代には古十三湖の水域となっていました。この地域は、岩木川に運ばれた土砂の埋積によって平安時代には陸地化し、自然堤防上に10~11世紀の3つの遺跡、懸河・松枝・久米川遺跡が位置しています。平安時代の土器である土師器・須恵器や木製品などのほか、北海道の擦文文化の影響を受けた擦文土器も出土しています。また、網漁に使う土製の錘のほか、水路跡や炭化米などが発見され、平安時代の生業や津軽平野開発の歴史を知りうる貴重な資料が埋蔵されています。
埋没林
日本海に面した出来島海岸では、1kmに渡り約2万8千年前の埋没林を見ることができます。樹種はエゾマツやアカエゾマツなどの針葉樹で、幅約30cmの泥炭層に1~2mの間隔で数千本が並び、規模は世界最大と言われています。最終氷期(約2万~8万年前)後期の極寒期に、洪水などの急激な環境の変化によって針葉樹林が水没し、その根が腐らずに残ったものです。
つがるブランド
つがるの大自然が培う確かな高品質米
米の生育に適した気候条件の中、青森県産米の「まっしぐら」「つがるロマン」を中心に作付けしています。豊かな自然の恵みと農家のきめ細やかな愛情に育まれた、安全でおいしいお米がつがる市のお米です。
伝統が育んだ果汁たっぷりのりんご
つがる市は樹齢130年以上の「日本最古のりんごの木」の地として知られるように、古くからりんごの栽培が盛んです。森田地区や柏地区などで栽培されるりんごは、最適な環境の中で栄養たっぷりの実をつけます。
日本有数のメロン産地
栽培に適した砂丘地帯の屏風山地域は、全国有数のメロンの産地で多数の品種が作付けされています。高品質で香りが良くとろけるような甘さが特徴です。
甘くてジューシーな屏風山スイカ
砂丘地帯の屏風山地域を中心に作付けされています。「屏風山スイカ」は昼夜の寒暖差が大きいため糖度が増し、高い甘さとみずみずしさが特徴です。
色鮮やかな夏秋トマト
昼と夜の温度差など、生育に最適な環境に作付けされたトマトは、夏から秋にかけて色鮮やかで甘みたっぷりの実を付けます。色が鮮やかで味がよく、保存の良さにも定評があります。
旨みたっぷりのつがるネギ
砂丘地のネギは柔らかく、一部は氷温処理により鮮度保持や旨みを増した「氷温ネギ」として出荷されています。また転作田やビニールハウスでの栽培も盛んです。
食物繊維豊富なゴボウ
近年、健康野菜として注目され、消費量が伸びています。サクサクした歯ごたえあるつがる市産ゴボウは、尻部まで肉付きがよく、ひげ根がないのが特徴です。
屏風山の砂丘ナガイモ
つがる市の「砂丘ナガイモ」は安定した品質で高い市場評価を受けています。雪のように真っ白でアクがなく、みずみずしさと食感に定評があります。