德田さんご家族
2018年11月に神奈川県川崎市より移住。夫婦は小学校時代の同級生(つがる市向陽小学校)。いずれは青森県で生活したいという思いが常にあったが、お互いの年齢、子供の小学校入学を目前にその思いが現実化し、Uターン移住に至った。
夫:德田俊哉(48) 株式会社sys-cobo代表取締役
妻:德田幸江(47) Hair Salon SoL美容師兼経営
Q.Uターンをしようと思った理由は?
【夫】元々、都会へのあこがれもなく、転勤で東京へ行くことになったため、いずれはUターンしようと考えていました。仕事も独立し、結婚して子どもも産まれ、子どもは地元で育てたいという思いと、色々なタイミングが重なり、家族でのUターンを決意しました。
【妻】キラキラした世界に憧れて東京へ行き、美容の他にもアロマやネイルの勉強、オーガニ ックレストランや喫茶店のアルバイトなど、都会だからできる経験を沢山してきましたが、ずっと東京に・・・という考えはなかったです。自分達もそうだったように、自然の中で子どもを育てたいと、Uターンを決意しました。
Q.Uターンしてきて良かったことは何ですか?
【夫】子育て環境が抜群だということです。首都圏では、ベビーカーを押して電車に乗ると舌打ちをされ、近所の公園に遊びに行っても順番待ち、狭い自宅では子どもは自由に走り回ることもできないというのが当たり前でした。Uターンしてからは、子どもは伸び伸びと育っています。つがる市は、車で15分程の所にキャンプや釣りが楽しめる場所が沢山あり、子どもだけでなく家族で楽しめるというのも、子育てには適している場所だと思います。また、首都圏では子どもはお断りの温泉が多いのですが、つがる市は子どもも入浴できる施設が沢山あり、妻が仕事の時は、息子と二人で温泉に行くのが私の楽しみの一つになっています。
【妻】青森県やつがる市の良さを再認識できたことです。まずは、食糧が豊富だということ。 親戚や友人から野菜・果物・魚など沢山いただくのですが、その度にその種類の多さと美味しさを再認識します。次は、コミュニティがしっかりしているということ。首都圏では人口も多いし、知り合いまでしか意識が向かない感じがどうしてもある気がしますが、青森は友人の家族やその先まで考えて助け合う傾向にあります。コロナ渦になって、ますますそれを痛感しました。最後は“人間が大らか”ということです。雪国では農業・漁業なども含めて自然を相手にしているため、諦めなければいけないことが多いと思います。でも、そのためにみんなが“大らか”だと感じていて、それがこの地の良さだと考えています。
【夫】仕事のメインは、以前はシステム開発でしたが、今はデザイン系へと変化しました。つ がる市には私と同業者がいないので、Uターン後は重宝されるのか、それとも、全く必要とされないのか不安もありましたが、出来る可能性があることはどんな小さな仕事でも引き受け、真摯に取り組んできた結果、お陰様で今では忙しくしています。デザインの仕事は、元々興味のある分野だったので、さらに精進していきたいと考えています。
また近い将来には、地元の子供たちを中心にしたIT教室の運営も視野に入れ、つがる市のICT教育の向上に努めていきたいとも考えております。
【妻】東京にいる時から、人にも地球にも優しいオーガニックケアにこだわってやってきましたが、青森にも興味のある人が沢山いて、今では弘前市や青森市からも来ていただいています。全ての方ではないですが、過去にカラー剤でアレルギー反応があった方などへの対応可能な商品も揃えており、好評いただいております。また、病気と闘う子どもたちにウィッグを贈る「ヘアドネーション」という活動を行ってきたのですが、青森にも取り組んでいる人がいて、嬉しく思っています。 今後も、髪も心も身体も健康になれる美容室を目指し、よりケアに重点を置いた新メニューを作っていきたいと考えています。
【夫】地元とはいえ、仕事も含めて本当に生活していけるのか、不安で眠れない日もありまし たが、幸せに暮らせる方法は沢山あると思います。夫婦で忙しい時は息子の面倒を見てくれる両親が近くに居て、困った時は助けてくれる子どもの頃からの友人がいる。Uターン後に出来た友人も沢山居て、つがる市での生活を満喫できている今の生活を、私は幸せだと感じています。
【妻】色々と経験する中で、「時間を大切にしたい」と考えるようになり、田舎での生活はそれが実践できる場だと思っています。美容師になりたての頃は、実践と直接指導が当たり前でしたが、今では動画やオンラインで学ぶことも出来る時代なので、田舎にいてもスキルアップは出来ます。そんな先輩移住者として、これから移住する人に何かサポートが出来ればと考えています。